【ガンダム】人物考察「戦場は荒野」ルッグンと母子

ガンダム
こんにちは、レビルです。
今回は、【ガンダム】人物考察「戦場は荒野」ルッグンと母子
をお送りします。短いながらも心に残るエピソード、その内容に触れたいと思います。
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ルッグンとは?


ジオン軍の偵察機、大きな円盤状のレーダーを上方に2基付いてるのが特徴。
自衛用に主翼の両端に旋回式の2連装機銃を搭載。
2基の高性能レーダーを持っていますが、もっぱら目視での偵察をしています。

第8話「戦場は荒野」でのパイロットの名前は「バロム」
コパイロットの名前は「コム」

「戦場は荒野」の母子とは?

サイド7での避難民でホワイトベースに乗船していた母親と男の子、夫はサイド7が襲撃された際に死亡したのかと推測。
母親の名前は「ペルシア」男の子は「コーリー」
亡き夫の故郷である「セント・アンジェ」で暮らそうと決意する。

避難民のホワイトベース下船

下船したいとブライト艦長とリード大尉(中尉?)と再三申し出ていた避難民の中で、

「この先にあるセント・アンジェは私の夫の故郷なんです」

とペルシアが申し出た事により、ジオン軍とは一時休戦をしてガンペリーに避難民を乗せての下船を決定します。
この決定の裏には、ジオンの目を欺きガンダムをガンペリーに搭載し前線に送り出す作戦が裏にありました。

この時点から既に、ジオン軍の偵察機ルッグン「バロム」と「コム」はホワイトベースに至近距離で飛行し動きを監視しています。

ホワイトベースの窓からルッグン偵察機に手を振るコーリー。
それに対して偵察機のバロムも手を振って答えています。

敵軍ではあるけども、子供に手を振り答える。バロムの人の良さが伺えます。

この時、バロムはどう思っていたのでしょうか。

「こんな幼い子供も乗っていたのか。」
と思ったのか
「俺の任務が攻撃じゃなくて、偵察で良かった。」
なのか
「幼い子供に敵も味方も関係ない。」
と考えたのか。

いずれにしても、軍人以外には敵愾心は無かったのでしょう。

ガンペリー、故障に見せかけ湖の手前で不時着

湖の手間で母子を含めた避難民を下ろし、他の避難民はゴムボートで湖を渡船。
母子は近くにあるだろうと思われる「セント・アンジェ」を探して向かおうとします。

その一部始終を見ていた偵察機のバロムは、一旦離れたものの他の避難民と別の方向に歩む母子を気にかけて戻ってきました。

「もういいだろう、ちょっと寄り道をするぞ。」

手を振っていた男の子と母親の事を心配したのでしょうか。

「あの親子が気になるんでしょう、怒られますよ。」

コパイロットのコムもバロムの心情を察していて、このように返答します。
相棒として、バロムの人情家な部分を良く知っているからこその返事なのが解ります。

「ガルマ大佐はまだお若い、俺たちみたいな者の気持ちはわからんよ。よし、行くぞ。」

ジオン本国に妻子を残して、地球での任務に就いていたのでしょうか。
「ここはあまりにも厳しい環境だが、無事で母子が目的地に辿り着いて欲しい」という思いから引き返したのだと想像します。

ルッグン偵察機は母子の近くである物を投下します。

普通に考えると戦場の真っただ中、それは攻撃だと母子ならずとも想像するでしょう。
慌てて避難しようするペルシアとコーリー。

しかし、おちてきた物は危険な物ではありませんでした。

それは、食料や医療品を満載した救助カプセルだったのです。

去り際にコクピットの中で母子に向かい敬礼をするバロム。

「無事にたどり着くんだぞ」

とジェスチャーで伝えた別れの挨拶なのか。

僕が思うのは、バロムが人道的な行為をしたのはこれが最初では無いと想像しています。

なぜなら、偵察機の運用上救助カプセルを乗せる必要があまり無いからです。

攻撃を受けて不時着した際の為に常備している、サバイバルキットなのかとも思いましたが、ならば最も安全な胴体内にあるはずです。
救助隊では無い普通の軍偵察機に、わざわざサバイバルキットが投下できる仕様になってる事は現代の常識で言えば「無い」からなのです。

ルッグンの墜落

ルッグン偵察機が去っていく途中、隠れて様子を伺っていたガンダムのカメラ部が不意に日光が反射し光ってしまいます。
不審に思ったバロムはスクランブル体制で再度引き返す。

「見つけなけりゃいいのに・・」

とつぶやくアムロ。
アムロはルッグン偵察機の人道行為を目撃していた為、できれば交戦したくなかったのでしょう。
しかし、見つかってしまったからには戦闘に入ってしまう。

この物語の悲しい部分だと感じます。
戦いたくない相手であっても、戦わなければならない。
そんな、戦いにおける不条理をアムロも感じていたのでしょう。

アムロはなるべく急所を外して攻撃し、ルッグンを墜落。

幸い急所から外れていた為、ルッグンは湖の浅瀬に不時着し、バロムとコムは傷を負いながらもなんとか脱出しています。

「戦場は荒野」バロムとペルシア

夜になり、バロムとコムはペルシアとコーリーの元に行き傷の手当てをしてもらいます。

「戦いはどうなってんでしょう?」

ペルシアは遠方で繰り広げる、ジオンとホワイトベース隊の戦いをバロムに聞く。

「さあな、どちらが勝つか」

バロムは他人事のように答える。彼は軍人でありながら、戦い自体には否定的な考えの持ち主なのかもしれません。

「どちらが勝っても負けても、私のように夫を亡くす人がこれからも大勢出るんでしょ・・・」

とても重い言葉です。
どちらが勝とうが負けようが、被害を受けるのは一般の市民なのです。
冨野監督は、ギリギリ日本がそういった悲惨な歴史を歩んだことを体感しているご年齢です。
その思いが、この言葉に強く反映してるのかもしれません。

「坊主、強い男になって母さんを守ってやれよ。では。」

バロムはそうコーリーに言い、原隊に戻って行きます。

セント・アンジェ

バロムは少し歩いてから振り返り、
母子の気持ちを思うと伝えたくない、でも伝えなければならない、そんな現実を伝えます。

「奥さん、ここが一年前までセント・アンジェのあった所です。」

「奥さんは湖の仲間の所にお帰りになった方が良いでしょう。」

この場所は爆撃により町は消滅し、何も無いただの荒野になっている。
この荒野が亡き夫の故郷「セント・アンジェ」がかつてあった場所だったのです。

その現実を知りペルシアは泣き崩れます。

夫を亡くし、母子の故郷を亡くし、夫の故郷も亡くしてしまった。
これからどうやって生きていくのか、どうやって子供を養っていけばよいのか。
母子に安住の地は見つかるのだろうか。
そう考えさせられ、心に残るエピソードでした。

感想

ガンダムが名作たる所以は、こうした脇役の人達にも物語があり、そして語られていく事にあるのだと思います。
子供向け番組なのに、深すぎる内容に子供は多分「カッコイイ」事ぐらいしか理解できない、そして大人になって初めて色々な部分の深さに気が付く。

これはガンダムを子供の頃に見て、大人になってから改めて見た方は皆そう感じるのではないでしょうか。

脇役でありながらも記憶に残るキャラクター達。

勧善懲悪の作品ばかりだった時代に、「どちらも正しいという事ではない」という両方の立場を表現した作品はガンダムだけだったのです。

 

この記事作成にあたり詳細はWikipediaを参考にしています。
Wikipedia

 

今回は以上です。

 

 

ではまた!

 

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コメント

  1. 匿名 より:

    サンテレビで再放送始まったんでブログ更新楽しみです。今週は第三話ですのでガデム考察お願いします、旧ザクですよ旧ザク、ジオンスタータキットですよ

    • レビル より:

      匿名さん
      おおおおおおお!再放送やってるのですか!!それは羨ましいです。
      サンテレビというと、兵庫県ですね。
      あれ?兵庫県に知り合いが居るのですが、ご職業はお寿司屋さんでしょうか?
      今の子供がファーストガンダム見たらどんな感じなんでしょうね!?
      ガデム考察も面白そうです。登場話数が少なすぎて、ほとんどが想像で書いちゃいそうですがw